「さよなら絵梨」を読んだ直後の感想

※ネタバレあり

 

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あらすじ

病の母が死ぬまで、スマートフォンで撮影をしていた優太。彼は母の死後、自殺をするために向かった病院の屋上で、とある少女に出会い、映画を撮影することになるのだが……!?

  • 映画か?映画なのかもしれない……
  • 藤本タツキ先生の漫画は読み終わった後に「スゴイ……」という感想になる。理解よりも先に感情が来る。特にラストのせいで理解はもしかしたらさほど重要じゃないのかもとさえ思ったくらい。
  • ストーリーそのものよりもストーリーの構造に衝撃を受けたし、頭の中で構造が浮かび上がったとして、その映像を漫画で表現する画力と設定作りが上手すぎる。カメラの揺れ動きとかめちゃくちゃすごい。スマートフォンで撮影しているから表紙のタイトルはスマホに浮かんでいるし、コマ割りもページを四等分したように常に一定しているし、2つ目の映画を撮った後に真っ黒のコマが4ページにわたっているのも、その間に新たに映像を撮っていなかったからその間が何もないんだろう。
  • 正直ストーリーの内容自体は200ページもいらない。半分もあれば多分同じようなストーリーの漫画は書ける。でも200ページある。これは、先述のコマ割りも影響しているだろうけど、漫画に流れている時間の流れを表現するためにはこのページ数が必要である。
  • これもさっき書いたけど、2つ目の映画を撮ったあとの主人公の独白までの時間的空白*1を示す4ページの真っ黒なコマが差し込まれている。他にも91ページの絵梨と主人公の父親が話すシーンとかもそう。2ページ使って緊張した雰囲気、本題を切り出すまでの父親の表情が見れる。読んだ直後の感想が映画みたいな作品だったなというのも、この時間の使い方にある気がする。
  • この作品の難しさって、「どの場面が撮られたもので、どの場面がそうでない場面なのか」にあると思う。
  • 前半の、最初の映画が終わった後に先生に怒られているシーンは、カメラをこっそり置けるような状況じゃないけど、コマを移す画角がいかにも隠し撮りっぽい。デッドエクスプロージョンマザーは文化祭で公開された映像の裏に母親の真の姿があった。特にこの母の裏の姿の場面は「画面に収まっていない場所では何があるかわからない」というのを感じて恐ろしかった。もしかしたら死んでいないのかもしれないって思うくらいに。空白の数年間は映像に収まっていない。最期の場として館に赴いた時の画角は完全に第三者である。
  • コマの表現がとても凝っていて虚構と現実が目まぐるしく動いている。それが臨場感があって楽しいのだけれどもちょっとむずかしい。こう書いてみると、作中の絵梨の主人公に対する映画の評にそっくりだ。

上映時間20分近くあったのに飽きずに見れたし、どこまでが事実か創作かわからない所も私にはいい混乱だった。(p52)

  • そういえば2本目の映画の公開の裏でピースしていたのは誰なんだろうか。

*1:ここが167ページで主人公が事故の様子について「一瞬テレビの電源を消したように暗くなって」の場面かと思ったけど、それにしては160ページの主人公の顔が若く写ったように見えたのでこう解釈した。